沿革


はじまり

 

山仕事サークル杉良太郎は、現場の体験に基づいて林業について考えようという思いから、1998年に発足しました。以下の文章は熱帯林きょうと機関誌「リンバラヤ」20号(1998/7) に掲載された【杉良太郎】の活動報告です。1998年度コーディネーターの伊東さんによって、山仕事サークル杉良太郎が始まったきっかけがつづられています。

熱帯林きょうとや、わたしの職場(「古材バンクの会」というNGOで事務アルバ イトをしています)で何やかや議論したり、勉強したりしているうちにつらつら考えていたことがあって、それは、やれ国産材で建てる木の家がいいとか、長持ちさせるとか、林業ももっとがんばらないといかんとか、広葉樹を植えるのがいいとか、まあいろいろ口で自分が言うのは簡単だけれども、実際にそれを「案じるより産む」のは、 もっともっと時間もかかることであり、単に「熱帯材よりいいから」ほなそうしましょか、といって済む話ではなかろう。いったいどういう山がいいのか、どういう家がいいのか、という問題は、そこで暮らしを営む人の問題、家族やむらといった社会の問題でもあり、山でいうなら、いったいどんな樹種の、何年ものの木をどれだけ育てたいのか、またその必要があるのか、山の社会はその理想をどこまで追求できる状態にあるのか、何より当の山で働く人たち本人のホンネはいったい何なのか、ということを、もっと自分がその立場に近づいて汗を流して考えてみたい、ただの評論家にはなりたくねえ、ということであります。
そんなこんなしたことを思っているうちに、東京に行って「林土戸」という林業ボ ランティアグループの人に会いに行き、そこの世話役の稲木さん(「東京の木で家を造る会」という産直住宅づくりの会の事務局もやっている)の、「うちに来てる若い女の子(のボランティア)なんかは、ひょいひょいって一本ばしごで木の高い高いところ登って枝打ちとか平気でやっちゃうよ。んで『見て!この地下足袋いいでしょ~ 』とか、『この鎌、足助産なんだから~』とかファッションみたいに自慢しあったり、 軍足はいた足の指がどれだけ広がるか自慢しあったりしてるんだから。知ってることだって下手なプロの林業家顔負けだよ。君らも京都でやってみなよ」とかいう言葉にいたく刺激され(もっとシリアスな話もいろいろ聞いたけれども、そういう話は新潮選書で出ている「森林ニッポン」という本の中の一章でいろいろ書いてあるので読んで下さい)、馬鹿で調子に乗りやすいわたしとしては帰ってきてすぐに(五月半ば) 京都林務事務所の白石さん(連載でご存じですね)の紹介で、河野代表と一緒に、雲ヶ畑森林組合の安井組合長、職員の久保さんに「林業ボランティアしたいんですけど ~」とお話しにいったのでした。そして、「山仕事サークル・杉良太郎」という名前をつけ、大学などを中心として参加者を募集しました。

沿革

1996 熱帯林きょうと内プロジェクトとして始動。

1998 「山仕事サークル・杉良太郎」発足。記念すべき第一回の作業は下刈り。第一回参加メンバーは7名。

1999 最大19名。計15回の作業。夏合宿始まる。杉良BOOK創刊。

2000 最大22名。計18回の作業。セミナー「林業の里を訪ねて」。復活屋古材バンク、SAGAと共催)。

2001 最大20名。計18回の作業。

2002 最大24名。計23回の作業。炭焼き開始。

2003 最大22名。計24回の作業。第一回森の文化祭開催(薪く炭くKYOTOと共催)。山主会設立。

2004 最大16名。計19回の作業。理想の森プロジェクト発足。

2005 最大22名。計15回の作業。第三回森の文化祭開催(森の文化祭実行委員会として独立)。

2006 最大19名。計24回の作業。京都学生祭典(紙漉き)。

2007 最大15名。計17回の作業。第五回森の文化祭で来場者・スタッフ計400名突破。

2008 最大17名。計21回の作業。雲ケ畑伝統行事「松上げ」参加。木材の祭典参加。

2009 最大30名。計20回の作業。10月にブログ(livedoor)スタート。ドイツ林業視察。

2010 ブログで活動報告をするようになった。第八回森の文化祭開催。雲ケ畑・足谷 人と自然の会発足。

2011 第九回森の文化祭開催。雲ケ畑フェスティバル参加。

2012 第十回森の文化祭開催。

2013 第十一回森の文化祭開催。森なかまのカシナガ防除活動参加。炭窯改築。

2014 第十二回森の文化祭開催。

2015 第十三回森の文化祭開催。京都市環境未来賞受賞。

2016 第十四回森の文化祭開催。

2017 第十五回森の文化祭開催。京都ラジオミックス出演。

2018 20周年記念パーティー開催。第十六回森の文化祭開催。